この
『おちばすぎ』という名前は、学校の中庭に子どもたちを優しく見守るようにそびえ立っている樹木の愛称からとっています。
学校の「シンボル」でもあるこの木は、学名:ラクウショウ(落羽松)
世界中で最も大きく、最も長寿の樹木で原生種としては、2種が北アメリカ西部に自生していると説明されています。
いつ誰が名づけたのか、針のような葉が、秋になると色が変わり散っていくことから、市内や地域ではいつしか『落葉杉』と呼ばれるようになりました。(注1)⇒続きを読む へ
天をも抜かんと大空に向かって真っ直ぐに伸びるその姿は極めて端正であり、本校では、育まれゆく子どもたちの理想像として大切にしています。
(学校だよりの題字「おちばすぎ」は、無二荘牡丹園当主 辻尾仁郎 氏)
(注1) ここ普賢寺は、玉露の名産地として有名です。また日本茶業を世界に紹介した伊東熊夫と誠太郎父子の生地でもあります。「落葉杉」は、その誠太郎が、明治26年(1893)のアメリカ・シカゴで開かれた万国博「シカゴ・コロンブス博」の記念に持ち帰った苗木の1本が成長したものですが、京田辺とりわけ普賢寺地域では「おちばすぎ」と呼んで親しんできたのです。 ところが、この木が実はスギではなくマツであるということについて、郷土史家古川章氏から、以下のことをご教示いただきました。ありがとうございました。
① この地域の植物調査に来られた京都大学村田源先生が、「この木はラクウショウ(落羽松)である。当時として大変珍しい木で、今まで誤ってアゲボノスギ(メタセコイヤ)とされている。メタセコイアは第三紀という地質時代の頃には日本にも繁っていた古い植物だが、世界中で絶滅し、中国大陸の一部にだけ生き残った。ラクウショウ(落羽松)はその近い仲間で、アメリカの一部にだけ生き残ったものである」とコメントされた。
② 昭和36年12月刊行の「京都府議会歴代議員録」の伊東誠太郎の小伝には「『落羽松』という珍樹の苗をもちかえり、自邸のほか小学校、郡役所、郡公会堂などに植付けたが、それがいま大樹となり亭亭として生い茂っている」と記述があり、調べるとその落羽松7本は、伊東家自宅、大富家、旧水取小学校、旧打田小学校、普賢寺村役場、普賢寺小学校、綴喜郡役所に植えられた。
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